名鉄岐阜市内線の廃止と岐阜市の郊外化

高度経済成長期以降、中心部の地価高騰等様々な理由で、地方都市を含め郊外化が進んでいった。
岐阜市でも業務施設、工場、県庁、大学、公共施設等が駅前の中心部から郊外へ移転していった。単に移転しただけでなく、岐阜市の場合は、行政が都市計画等を利用して或る地域に集中して移転させ副都心を形成するということを行わなかったため、無秩序に分散した。よって自動車交通が増加し、自動車中心の都市構造となった。
その結果、国際的にはLRTを活用した都市創りが推進されていた時代にも関わらず、2004(平成16)年には名鉄岐阜市内線が廃止された。
 

※この記事は<富樫幸一(2007)「岐阜市の空間組織と中心市街地の変容」,富樫幸一ら著『人口減少時代の地方都市再生―岐阜市にみるサステナブルなまちづくり』古今書院>を読み、鉄道関連で個人的に覚えておきたい内容をメモとして残したもので、実地調査や他の文献による検討を行ったものではありません。

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