岐阜市の郊外住宅団地におけるモノレール建設計画

高度経済成長期以降、都市への人口流入が進む一方で中心地の地価が高騰したため、地価の安い土地を求め中心地から離れた郊外(交通の便が悪い地域迄どんどん広がっていった)で住宅が盛んに供給された。
岐阜市東部の大洞(おおぼら)団地は1962(昭和37)年以降造成が始まった。岐阜市の中心部からバスで25分(←当時の新聞記事では通勤の便が良いとされていた)、名鉄美濃町線(2005年4月廃止)の上芥見駅や下芥見駅まで3kmほどと交通の便が悪く、1970(昭和45)年の市長選で当時の上松市長は、岐阜市中心部と大洞団地を結ぶモノレールの建設を公約に掲げた(当選した)。1972(昭和47)年には岐阜市都市交通研究会が「モノレールなど中規模の輸送手段が最適」との意見書を出した。
住宅需要や人口予測の過大な見積もり等を原因とし、早くも1975(昭和50)年にはモノレール建設計画の凍結が発表された。以来建設に至っていないのは御周知の通りである。
 

大洞団地のモノレール建設計画に就いて調べても、住民(だった人を含め)のものと思しき2ちゃんねるの書き込みくらいしか情報が出てこないんですよね。建設計画発表から凍結まで余りに短過ぎ、基本的には住民しか知らない事柄なのでしょう。原典に当たれば予定線が分かるとは思いますが、そこ迄は調べていません。
 

※この記事は<富樫幸一(2007)「岐阜市の空間組織と中心市街地の変容」,富樫幸一ら著『人口減少時代の地方都市再生―岐阜市にみるサステナブルなまちづくり』古今書院>を読み、鉄道関連で個人的に覚えておきたい内容をメモとして残したもので、実地調査や他の文献による検討を行ったものではありません。